ニュース・活動報告

「子どもたちと社会の〝架け橋〟に」 施設コミュニケーションチーム あめり

児童養護施設など、児童福祉の現場経験を持つ事務局スタッフがいます。ニックネーム「あめり」こと、矢口明子(32)も、その一人。児童養護施設や母子生活支援施設などで6年間の現場勤務を経て、2020年5月、認定NPO法人ブリッジフォースマイル(B4S)に入職しました。「施設コミュニケーション」チームのメンバーとして、児童養護施設や児童相談所などと連携し、施設を巣立った若者たちのアフターケア(退所後の自立支援)を担当しています。施設の「内側」と「外側」双方の視点を生かし、「子どもたちと社会の〝架け橋〟になりたい」。そんな思いで、日々、仕事に臨んでいます。

 

■きっかけは「高校時代の体験」

 

なぜ、児童養護施設などとかかわりのある「社会的養護」の世界に入ったのか。高校生のころの体験にさかのぼります。

 

一つは、あるクラスメイトのことです。ごく普通に仲よく、おしゃべりしたり、一緒に過ごしたりしていましたが、ある時、急に学校に来なくなって。家庭が複雑だったらしく、ご両親やきょうだいについて、ちらっとは聞いていましたが、あまり深く立ち入れませんでした。友達や先生から「何か知らない?」と聞かれ、担任の先生にだけ「ちょっと、ご家庭が大変っぽいです」と伝えました。先生が「家庭の問題には、なかなか立ち入れない」と話されたのに、驚いたというか、「先生の立場でも、そこまでのケアはできないんだ」と。

 

もう一つは、今も仲の良い友人ですが、彼女も家庭が複雑で、いわゆる「ヤングケアラー」として、おじいちゃんの面倒をみていました。ご両親やきょうだいもいましたが、共働きで、お母さんがご自身の親御さんの面倒を見るため家を空けた時期もあって。家族間でギスギスし、友人に負担が集中したみたいです。あまりにもしんどい出来事が続いたらしく、ある時、電話で「死にたい」って。それが、すごい衝撃的でした。発言にもびっくりしましたが、何て返したらいいか分からなくて。そのことが自分の中で、ずっと残ったんです。

 

「将来、自分にできることは何か」。そう考え、たどり着いたのが「スクールカウンセラー」でした。当時「不登校」などが増え、その役割がクローズアップされていました。もともと専門学校へ行って、アパレル業界で働いてみたいな、と考えていましたが、二つの出来事をきっかけにスクールカウンセラーに興味を持ち、大学で心理学を学ぼうと思いました。

 

「児童虐待」や「児童養護施設」の存在を強く意識したのは、大学で発達心理学の講義を受けていた時でした。

 

不登校になる要因の一つに、その子自身の課題やメンタル的なものもありますが、実は家庭が「機能不全」だったり、親との関係性やネグレクト(育児放棄)があったりします。「そんなことがあるんだ」って思ったのと同時に、高校時代の二つの出来事がよみがえり、「あれって、そういうことだったのかな」と、そこで初めて、つながったんです。「児童虐待が、自分にとって一番の関心事かもしれない」。そう思い、シフトチェンジしました。

 

ゼミ論文では、「児童養護施設での心理的ケア」をテーマに取り組みます。大学の教壇に立つ傍ら、臨床現場にも携わっていた教授や准教授にも話を聞きました。

 

カウンセラーになるため、大学院に進んで「臨床心理士」の資格をとるか、別の仕事に就くか、進路に迷いました。ゼミ担当の教授に相談すると、児童福祉の現場として児童養護施設があると聞き、興味を持ちました。当時は小さな子どもが少し苦手でしたが、中学・高校生向けの高齢児専門の児童養護施設があると知り、ここならやれるかも、と思いました。

 

児童養護施設では、グループホーム担当に。中高生6人に対し、職員4人で日勤や宿直などのシフト勤務をこなす日々が始まりました。

 

食事は職員が準備します。一方、担当児童は中高生なので洗濯や送迎の業務はなく、学校関係の手続きや連絡調整、日々の事務作業が中心でした。在籍するのが中高の最大6年間なので、高校を卒業して退所するまでのサイクルが短く、高校受験や大学進学、就職など、一人ひとりに対するケースワーク(中長期的な個別支援)が、次々来る感じでした。日々のケアワーク(日常的な個別支援)をやりつつも、ケースワークの方が比重は大きかったですね。

 

児童養護施設に2年勤めた後、療育施設に1年、母子生活支援施設に3年と、さまざまな現場で経験を積みます。途中1年間、専門学校に通い、「社会福祉士」の国家資格も得ます。

 

同じ「福祉」でも、全く違うな、と。療育施設は、知的障害や発達障害のある幼い子の保育園・幼稚園というイメージで、「障害福祉」「障害者支援」の考え方でした。母子生活支援施設は、市区町村の子ども家庭支援センターなどと連携し、子どもも支援しますが、お母さんへのサポートが重点的でした。ひとり親家庭で、2〜3割が生活保護を受給され、お母さん自身、療育手帳や精神障害者福祉保健手帳を持ち、働くのが難しい方もいました。

 

実務を重ねる一方、日常のケアワーク、将来を見通したケースワークの大切さを痛感します。

 

大学で心理学を専攻しましたが、家族関係についてどう考えるか、支援に必要な制度にどんなものがあり、どう活用するかなど、環境的側面について深く学ぶ機会がありませんでした。その辺の知識が自分に足りていないなと感じ、もっと勉強したいと思うようになりました。

 

そこで、療育施設に勤めた後、社会福祉士の資格を取ろうと、1年間、専門学校に通います。

 

夕方・夜間のコースで、日中はアルバイト。子どもと全くかかわらない期間をつくりたくなかったので、週末も放課後等デイサービスでアルバイトしました。専門学校で、母子生活支援施設を知り、児童養護施設時代、親の支援も気になっていたので、卒業後、勤めました。

 

こうした経験を踏まえ、もう一度、児童養護施設の子どもたちと向き合いたいと考えます。一方で、今後も社会的養護の世界で長く働こうと考えたとき、体力面も含め、「働き方」について悩むところもありました。そんな時、出会ったのが、B4Sでした。

 

手掛けるプロジェクトや事業を見て、これまでと違ったものの見方や、広がりが感じられ、外側から向き合うのもありかな、と考えました。実際、自分の勤めていた施設しか知らなかったので、入職後、施設によって、いろいろなやり方・考え方があると知り、こんなに違うんだ、とカルチャーショックで。あのころは、本当に「井の中の蛙」だったんだな、と。

 

 

■力発揮し、育つ姿に「やりがい」

 

担当の施設コミュニケーションチームは文字通り、児童養護施設などとコミュニケーションをとりながら、施設を退所して自立を目指す子どもたちの支援業務を担います。

 

高校3年生になると退所に向け、本人や施設職員、児童相談所と半年から1年ほどかけて話し合いを重ね、退所後の自立支援に必要な「継続支援計画」をつくって「見守りサポート」を続けます。「伴走支援」とも言い、計画に掲げた本人の目標が順調に実行できているか、困ったり悩んだりしていないか、定期的に相談に乗り、施設や児童相談所とも連携します。

 

見守りサポートは、スタッフ自ら行う場合のほか、B4Sの自立支援プログラム「自立ナビゲーション(自立ナビ)」を担当するサポーター(ボランティア)さんが、スタッフと相談しながら進めるケースもあります。サポート内容は「通院同行」や、就職先を探す「ハローワーク同行」、役所への手続きの手伝いなど、多岐にわたります。継続支援計画は、毎年更新しますが、1年先に向け、予想のつかない面もあり、臨機応変な対応が求められます。

 

そんな中、児童養護施設を退所後、自立に必要な知識などを身につけるB4Sの高3向けプログラム「巣立ちセミナー」で、ある生徒と出会います。彼女は、大学に進学して一人暮らしを始め、自立ナビを利用することに。担当のサポーターと連携しながら、見守りサポートを続けていました。

 

高3の時から、しっかりしている子だな、という印象でしたが、進学後もサポーターさんのお話から、すごく成長を感じることがたくさんありました。例えば、卒業論文のテーマについて相談を受けたサポーターさんの知り合いに、偶然テーマに近い仕事をされている方がいて、インタビューし、卒論を書き上げました。自立ナビの期間中、唯一の身寄りのご親族を亡くされた時も、周りに相談や報告をし、自分で対処して乗り越え、その後も生活を崩さず、卒業まで頑張りました。彼女自身の持つ力が大きいなと感じますが、その前向きさに、こちらもモチベーションが上がるなって。

 

サポート体制がかみあい、その子自身の力が発揮され、育っていく。そう感じる瞬間が、なによりも、やりがいにつながります。

 

施設職員も退所後の成長に接する機会はありますが、私自身は、いま入所している子どもたちへの支援(インケア)が中心になりがちでした。でも、自立後の支援(アフターケア)活動に主軸を置くB4Sは、「退所してからが本番」なので、そうした「成長」と間近に接し、見続けられるのが醍醐味かな、と。

 

「B4Sならでは」の事業「スマイリングプロジェクト」も担当します。独自にシェアハウスを運営し、住まいを支援するもので、「入居時の初期費用や生活費を軽減」「同居する社会人の緩やかな見守りのもと、自立の準備ができる」「親が保証人にならなくても入居可能」などの特徴を持ちます。

 

認定NPO法人が運営しているため、児童養護施設の信頼も高く、よく問い合わせを受けます。進学・就職いずれも自立に向け、「住まい」はとても重要です。最近は、施設でも民間の賃貸物件を確保し、「お試し一人暮らし」に活用したり、巣立った後、中退や離職などの事情で住む場所を失った退所者に一時的に住まいを提供したりする取り組みも見られます。B4Sの培ったノウハウを施設にお伝えし、サポートする場面も出てくるかもしれません。

 

働き方についても、「施設」と「NPO」で違いを感じると言います。

 

施設は宿直のあるシフト制なので、自由が利きません。でも、B4Sの場合、フルフレックス勤務なので、自分の趣味やプライベートに合わせ、その日ごとに働き方を変えたり、自由に調整したりできる余地があります。仕事先との打ち合わせなどがあれば別ですが、自由度は全く違います。児童福祉や社会的養護にかかわる分野で、こうした働き方ができるのは珍しいのでは。仕事も働き方もNPOならではの「らしさ」があって、そこが魅力的ですね。

 

 

■変わらぬ「初心」 取り巻く環境に「より磨き」

 

入職を考えていたころ、印象に残る言葉がありました。

 

「子どもと社会をつなぐ橋渡し役として」。これは、B4Sが活動に込める思いです。「ブリッジフォースマイル」の名前にも由来する「ブリッジ」、つまり「橋渡し役」という言葉に感銘を受け、最終的に入職を決めました。

 

やっぱり、子どもたちが幸せになるために、子どもたちにとって有益なものを提供できるように、サポーターさんとか、施設さんとか、その間に入って「ブリッジ」する。施設に対しても、子どもたちの自立に必要な制度や支援など、いろいろな社会資源をお伝えすることも大切な役割だと考えます。そこは入職当初と、自分の心情、軸としては変わってないところです。

 

児童養護施設や里親家庭など「社会的養護」を取り巻く環境は、大きく変わっています。児童福祉法の改正で、2024年4月以降、アフターケアの体制は法的にも手厚くなると期待される半面、具体的な運用・実現に向け、どう制度が整備されていくのか、道半ばです。

 

自立支援の内容が多様化し、今後、行政受託も増えていくと予想されます。これに伴い、私たちも支援に関し、より専門性を向上させ、対応できる専門スタッフを充実させることが求められます。専門性をお持ちの方が、事務局スタッフとして増えたらいいな、と思いますね。

 

 

<メモ>「フルフレックス勤務」の自由度を生かして、時々、旅に出ます。容赦なく鳴る業務用スマホが悩みの種でしたが、ある時、思い切って発想を転換し、旅先で仕事も休暇も楽しむ「ワーケーション」だと考えるように。それ以来、より楽しめるようになったといいます。

 

<1日の動き>

9:30~10:00 メール・SNS確認

10:00~12:00 スタッフ勉強会

12:00~13:00 休憩

13:00~14:00 チームMTG

14:00~15:00 移動

15:00~16:00 措置児童への事業説明面談

 

 

 

◆職員紹介 居場所スタッフ りゅうりゅう「彼ら彼女らがいるから、自分も頑張れる」 

◆職員紹介 人材開発チーム しのたー「誰しもが変われる」 もう一人の伴走者として

◆職員紹介 居場所スタッフ みみろん「児童福祉は、すべての経験が生かされる仕事」

Bridge for Smile

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私たちは、児童養護施設や里親家庭などで暮らす、親を頼れない子どもたちの巣立ち支援をしているNPOです。
ご関心に合わせ、以下から知りたい項目をお選びください。