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「彼ら彼女らがいるから、自分も頑張れる」 居場所スタッフ りゅうりゅう

「彼ら彼女らがいるから、自分も頑張れる」。そんな思いを胸に、仕事に向き合う事務局スタッフがいます。ニックネーム「りゅうりゅう」こと、鈴木隆太(33)。人材紹介サービス会社などで7年間の会社勤めを経て、2021年12月、認定NPO法人ブリッジフォースマイル(B4S)に入職しました。居場所事業や奨学金支援プログラムなどのプロジェクトを担当し、親を頼れない若者たちの自立支援に取り組んでいます。その原動力となっているのが、自身の体験した「親との葛藤」だと言います。どんなふうに、「今」に至ったのでしょう—

 

神奈川県横浜市。住宅街の一画に、B4Sの居場所施設「よこはまポートフォー(YPF)」があります。横浜市の委託事業で、2022年、開設10周年を迎えました。児童養護施設や里親家庭など「社会的養護」を経験した若者たちの交流の場として、週に3日間(金・土・日・祝日)開き、月に延べ70人ほどが通ってきます。

 

事務局スタッフやサポーターが交代で詰め、利用者は一緒に夕食を作って食べたり、ボードゲームをしたり、ここで思い思いの過ごし方をします。

 

担当して1年余り。「りゅうりゅう」自身も、YPFにすっかり打ち解け、「居場所」を見つけたと感じています。それが、冒頭に紹介した「彼ら彼女らがいるから、自分も頑張れる」という言葉に表れています。しかし、理由は、それだけではありません。彼ら彼女らと向き合ってきたこの1年、「りゅうりゅう」自身、自らを顧みる大切な時間となりました。

 

■親との葛藤 〝共感の土台〟に

 

東京で生まれ育ちました。世田谷区に一軒家を構え、両親と兄の4人家族。

 

はたから見ると幸せな家庭に見えていたと思います。でも、僕としては、それほど幸せだと感じたことはなくて。いつも、親の機嫌にビクビクしながら、生きていたところもあります。

 

親は、すごく世間体を気にする人で、「こういう子とは付き合っちゃいけないよ」とか、そんな会話が家の中でありました。幼心に「何か違う気がするな」と。勉強や運動が「できる・できない」の差はあっても、「人としては対等だよな」って思いがありました。

 

それでも、学校では誰とでも仲良くし、小学生のころは、特別支援学級にもよく足を運び、一緒に遊んだり、仲良く付き合ったりしていました。

 

親への「疑問」や「反発心」から、そういうことをやっていたのかもしれません。でも純粋に、いろんな人と付き合うのが楽しかった。そんな子供でした。

 

一方で、親の教育は正しいと思い込んでいました。特に小学生のころは、親の存在が「巨大」で、それに応えようと、勉強も運動も頑張りました。しかし、時には力及ばず、挫折も味わいました。

 

過剰とも言える期待や理想を押しつけられるプレッシャーは、相当なものだったよう。そんな親の「思い」が、強圧的な言葉や暴力、感情の「刃」となって向けられることはありませんでしたが、あることに気付きます。

 

実は、B4Sに入って、「虐待の心理学」に関する研修を受けた時、「自分にも当てはまる」項目がいくつもあって。「自分も、どこか『虐待』だったのかなあ」っていう気もするんです。

 

もしかしたら「虐待」と紙一重のところにいたのかもしれない。そんな近しい経験をしているからこそ、児童虐待を受けた経験者と、何か同じ「根っこ」のようなものがあるように思う。そのことが、いま、居場所事業などで若者たちと向き合う際、〝共感の土台〟になっていると感じ、自分の強みにしていきたいと考えています。

 

 

■「人の人生に、直接的に携わりたい」

 

中高生になっても、「親との葛藤」は続きます。

 

どこか「親に認められたい」っていう気持ちがあって、勉強を頑張ったりしていたんですけど、それが、どんどん息切れになっていく。そんな感じでした。

 

一方で成長するにつれ、少しずつ自分のやりたいことを貫くようになります。大学生になって、「お笑い」に目覚め、友人とコンビを組み、本格的に漫才に取り組みます。若手漫才「日本一」を決める「M-1グランプリ」にも挑戦しました。

 

2回戦で敗退しました。受験生のとき、深夜ラジオの「お笑い」に救われました。「お笑い」のエネルギーにひかれて、自分も救われた分、自分も「お笑い」で誰かを笑顔にしたい、と。親は大反対でした。絶対に認めないだろうと、わかっていて、反発心でやっていた面もありますね。

 

大学を卒業後、クレジットカード会社に就職。1年目、つらい思いをします。担当は、債権管理。お金を借りている債務者に、返済を求める仕事でした。

 

一般的なカード会社なので、法に触れるようなことはありません。ただ、債務者の多くは、他社からも借りている「多重債務」なんですね。だから、社の方針は「いかに、ほかより早く回収するか」。本来は、再建に向けて債務者の事情に耳を傾け、どうしたら無理なく返していけるか、返済計画を一緒に考えるべきなのに、との思いはありました。でも、1年目なので、何も言わず、会社の方針に従っていました。債務者の自宅を訪ね、水道メーターを見て「在宅だな」と。そんなことをしていたら、めちゃくちゃ体調が悪くなって…

 

10円玉サイズの円形脱毛症ができ、それを隠しながら、仕事を続けていました。そして、ある債務者の自宅を訪ねた時のこと—。

 

たまたま親が留守で、督促の書類を、中学生くらいのお子さんに渡しました。ポストに入れるより、家族に手渡した方が確実だろうと思って。でも、その子に罪があるわけではなし、あとで、ものすごく後悔しました。ポストに入れて帰ればよかった、と。2年目からは営業系の部署に異動できましたが、あこぎな商売だなって、本当にそう思いました。

 

5年勤めたものの、「人の人生に、より直接的に携わりたい」との思いが強くなり、人材紹介サービス会社に転職します。

 

業界トップの会社でしたが、不動産やエステサロンなどでバリバリ営業を経験した地力のある人たちばかりで、1年目はレベルの高さに全く歯が立たず、赤字社員でした。1社目の営業職で好成績を残し、「自分は、できる営業マン」だと自負していたので、築き上げた自己肯定感が地に落ちた感じで。藁をもつかむ思いで、コーチングスクールにも通いました。

 

2年目、尊敬できる上司と出会います。前のリーダーと異なり、目先の契約より、その顧客にとって、転職後のキャリアプランはどうなのかなど、長い目で見て何がベストか考えるタイプのリーダーでした。その考え方に共感でき、それまで「できる営業マン」を演じていましたが、素直な気持ちで顧客と向き合えるようになり、営業成績が劇的に好転します。

 

ピカピカのキャリアの人は給与が高い。そうでない人は、転職先がなかなか決まらず、給料も低い。そこに違和感を抱いていました。自分は、ピカピカのキャリアの人を応援するよりも、キャリアに苦しんでいる人を応援することにやりがいを感じるようになり、力を入れるようになりました。ただ、会社的には、ピカピカの人との契約をどれだけとるかが、毎月の営業目標につながるので、そこで、自分の方向性とずれが生じましたね。

 

 

「親を頼れないすべての子ども」のために〝覚悟〟を

 

結局、2年で退職。「営業に振り切っていた会社にずっと勤め、組織に疲れた」こともあり、コーチングスクールに通いながら、「自分が何者であるか」を探求しました。そのころ、「NPOという働き方」があると知り、いろいろと調べるようになります。

 

社会人時代の経験に直結するという意味で、本命は就職支援に特化したNPOでした。でも、B4Sの理念や活動が、自分の根幹となる「人生のテーマ」、つまり「子ども主体の親子関係の再構築」に、一番近かった。それが最も大きかったですね。「根幹に通じている部分」があるということで、最後の決断に至りました。

 

その決断は、間違っていなかった。そう感じる瞬間も、ありました。

 

YPFに来ていた男の子のことが印象に残っています。同じく利用者で同級生の女の子が大学進学を決めたと聞き、それをきっかけに働く意欲を持ち、実際に働きだしたんです。居場所スタッフが、頭で考えてアドバイスしたり、無理に背中を押したりするよりも、同じ境遇や体験をしている若者同士が、お互いの変化を見ることで、何よりもよい刺激になるんだろうな、と。ここが居場所支援のよいところだと思います。予想できない「化学反応」が起こる。個別支援では、できないところですね。

 

そして、こうも感じる。

 

一般家庭ではあり得ない悲惨な体験をしている。でも、それを乗り越えられたら、ものすごい原動力になるし、新たなエネルギーも生まれる。それを糧にできたらな、と思います。みんな、すごく優しいんですよね。気遣いもあり、人の気持ちのわかる子が多い。だから、彼ら彼女らの可能性を、どう開花させていくか。それが居場所スタッフの役割だと考えます。

 

それが、高いハードルであることも、自らを顧み、自覚していると言います。

 

社会人になって、親と顔を合わせる機会が減り、適度に「距離感」を持つようになってからでしょうか。ようやく「親との葛藤」から解放されました。でも、僕でさえ、この年齢になるまでかかりました。児童虐待を受けた若い人たちが、気持ちの整理をつけていくには、もっともっと多くの時間が必要だと、自分の経験からも感じます。

 

だからこそ、必要なことは何か—。

 

彼ら彼女らは、頼りにしていた人がいなくなることに、ある意味、慣れてしまっている面があります。親と離ればなれになったり、長年過ごした施設から原則18歳で「自立」し、親代わりだった職員の人と別れたり。だからこそ、居場所スタッフに一番重要なのは、そこで長く働き、何かあれば、いつでもサポートできる存在であり続けることだ、と。

 

若い人と接し、支援していくことの多い職場なので、プロジェクトによっては、彼ら彼女らと年齢の近い方が、いろいろな意味で、「身近な大人のモデルケース」にしてもらいやすい面もあると思うので、若い仲間が加わってくれると、うれしいなと思っています。

 

B4Sは昨年「18歳」(18周年)を迎え、来年「20歳」(20周年)になります。

 

 

他人の人生を左右する重要な仕事なので、安易な気持ちでは、できません。彼ら彼女らは、いつも「覚悟」を求められながら歩んでいるわけで、その分、スタッフも、B4Sという組織としても「覚悟」が求められます。でも、「親を頼れないすべての子どもが 笑顔で暮らせる社会へ」というB4Sの目指す理念に共感できるなら、きっと充実感をもって働くことができると思います。

 

<メモ>「フルフレックス」の勤務形態を活用しています。コーチングスクールで得た資格を生かし、復業で「コーチング」を行う一方、認定NPO法人「自立生活サポートセンターもやい」でボランティアとして生活相談にも当たります。

 

<1日の動き>

10:00~12:00 奨学金事務作業

12:00~13:00 休憩

13:00~14:00 居場所開所準備

14:00~16:00 居場所運営・個別相談

16:00~18:00 夕食準備

18:00~20:00 ボードゲーム等の交流

20:00~21:00 振り返りMTG・個別記録

 

 

◆職員紹介 施設コミュニケーションチーム あめり「子どもたちと社会の〝架け橋〟に」

◆職員紹介 人材開発チーム しのたー「誰しもが変われる」 もう一人の伴走者として

◆職員紹介 居場所スタッフ みみろん「児童福祉は、すべての経験が生かされる仕事」

Bridge for Smile

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