ニュース・活動報告

「ここまで生きてこられた」 その思いを次へ 
カナエールでスピーチをするちーちゃん

「カナエール2014」福岡会場でスピーチした「ちーちゃん」こと古賀千聡さん(26歳)。「小学校の先生になりたい」という夢をかなえ、日々、子どもたちと向き合っています。今年で5年目。「なりたい教師像」に少しは近づけたのでしょうか。

 

◆憧れの担任に出会い 「先生」を志す

 

「私って、情が薄いのかな」。子ども時代、そう思うことがあった。「何かあっても、すぐ忘れる」。仲のよい友達とも、その場のノリと勢いで付き合っている感じ。クラスが変わって久しぶりに会うと、名前が出てこない。小学生時代の記憶も、あまりない。「何か、ちょっと〝大事〟にしてないな」。

 

一つの出会いが、自分を変えた。高校1年生と3年生の時、担任だった男性のM先生(国語科)だ。定年間近の50代。ものすごく冷静で、物知りで、雑学もある。「私、まじめな話があまり得意でなくて、おちゃらけて返したりするんだけど、あきれながらも付き合ってくれたり」。ふだんの表情は一見「こわそう」だが、「情に厚いところがあって、私なんかの未来についても、本気で考えてくれているんだな、というのが伝わってきました」。

 

「なんで、そこまで人のことを考えられるんだろう。すごいな。こういう人になりたい」。あこがれが出発点となり、高3の時、「自分も先生になろう」と決意する。小学校を選んだのは「子どもたちと接する時間が一番長いから」。

 

◆「カナエール」にチャレンジ

 

高3から里親家庭で育った。大学進学を目指していたが、18歳になると、自立を求められる。経済的に里親や親戚を頼るわけにも行かず、「学費や生活費が続くだろうか」という不安を抱えていた。そんなとき、里親を通じて知り合った児童養護施設の職員が「カナエール」を紹介してくれた。参加すると、奨学金がもらえる。「これは、いいな」。早速、応募した。

 

「受かったよ」。朗報が飛び込んだものの、あらためて応募書類を読み直すと、自分の夢についてスピーチしなければならないという。「合宿みたいなもの」もあるらしい。「そんなの聞いてない」。一人困惑したが、背に腹は代えられない。「参加するしかない」。

 

「最初、慣れるまでは、正直、戸惑いがありました」。サポートしてくれるボランティア「社会人エンパワ」とは年齢も違う。お互いの距離感もつかめぬまま、セミナーを受ける。そもそも「なんで、こんなこと、やるんだろう」。疑問が膨らむ。それでも、「エンパワのみなさんが、なにか、すごく心を砕いてくださっているのが伝わってきて、私一人、いつまでも頑なになっているのも違うなって」。そう感じるようになり、徐々に気持ちが解きほぐれてきた。

 

担当したエンパワは「かよちゃん」「たくやん」「ともちゃん」。最年長で50代くらいの「ともちゃん」が、リーダー的存在だった。後に同窓会のような集まりで再会した際、ひどく痩せていて、びっくりした。「病気だ」という。まもなく訃報が届き、お別れのため、通夜に参列した。「お母さんみたいな感じで、いつも見守ってくれていました」。

 

◆家族 相次ぎ〝離別〟

 

実の「母」の面影や記憶は、ほとんどない。

 

2歳年下の妹が生まれ、すぐに両親は離婚。幼い姉妹は父方に引き取られた。以来、母とは会っていない。一度だけ、写真を見たことがあるものの、よく覚えていない。

 

家は貧しかった。父は、いくつもの仕事を掛け持ち、常に不在。祖母に育てられた。父の収入だけでは暮らしていけず、祖母もアルバイトやパートに出た。やがて姉妹が思春期や反抗期になると、祖母が手を焼く場面も増える。相談相手もなく、慣れない「母親代わり」や家事、アルバイトにパートと、次第に精神的にも体力的にも追い詰められていく。ある日、自殺未遂を図った。幸い一命を取り留め、入院したが、退院後、自ら命を絶つ。中学3年生の時だった。

 

父と姉妹の3人暮らしは、すれ違いの連続だった。父は仕事のため、姉妹が起きている時間帯は、いつも留守で、顔を合わせる機会はない。生活費など必要なことを、どう伝えたらいいか、そのすべも分からない。それでも、近所に住む親戚に相談しながら、高1くらいまでは、なんとか、そんな暮らしが続く。

 

高2の秋、父に若い「彼女」ができた。それを機に、父娘は〝断絶〟状態になる。生活費の一切が、相手との暮らしに回る。「それまでもカツカツだったのが、完全に止まっちゃった」。親戚が間に入って説得してくれたものの、改善しない。父も次第に心の余裕を失い、娘に手を上げるようになる。育児放棄(ネグレクト)に、家庭内暴力。親戚にも姉妹を引き取る余裕はなく、高3の春、児童相談所へ。姉妹とも、別々の里親家庭に引き取られ、妹はその後、児童養護施設へ移る。

 

新しい生活が始まって、まもなく、父が急逝する。自殺だった。「ああ」。そんな感慨しかなかった。「受験なども重なり、イライラして、いろいろな思いを里親さんにぶつけた時期もあったけど、上手に受け止めてくれました」。

 

思い返せば、その大変だった高校時代、担任のM先生は、家庭の話題に触れてこなかった。「私も学校で周囲に知られたくなかったし。でも先生は事情を知っていて、本当は心配で、いろいろと私に聞きたかったのだと思う。先生なりの心遣いだったのかも」。

 

失うものはなくなった。「自分は自分で、できること、やりたいことに挑戦しよう」。そう心を切り替え、受験勉強に集中。見事、志望大学に合格し、里親家庭からも自立した。

 

◆新任教師 〝ギャップ〟に悩む

 

「カナエール2014」福岡会場でスピーチしたのは、大学1年生の夏。「あのときは、自分なりに一生懸命考えたつもりだったけど、今思えば、かなり漠然としていたなって」。思い描いていた「教師像」「子ども像」である。

 

「現実の子供の姿が、一番違うかもしれない」という。「当時は、それこそ『すっごい、キラキラした塊』みたいなイメージで。でも実際に向き合うと、もちろん、『キラキラした存在』なんですけど、一方で、子どもたちは子どもたちなりに、さまざまな家庭環境や事情など、いろんなものをかかえ、考えているんだなって。あらためて実感しました」。

 

子どもはみんな、夢を持っている。そう思っていたが、必ずしもそうではないことも知った。結構「くせもの」みたいな子もいる。念願の小学校教諭になって、そんな〝ギャップ〟と向き合うところから、始まった。

 

初任地で、1年先輩の先生の姿に刺激された。「ものすごい熱い方で、その姿を見てて、『なんか自分はまだ、子どもから逃げているかな』って。自分は、その日暮らし、その場しのぎで子どもたちに向き合っていないかな、と」。

 

「逃げ癖があって、すぐ楽な方に逃げる」という自覚がある。だから、「カナエールで、大勢の前で、あんな宣言をしたのに、逃げとんのかい。言ったからには、ちゃんとやろうよ」。そう自らを奮い立たせ、退路を断った。

 

「いま、向き合っている自分のクラスの子たちに対しては、絶対に手を抜かず、考えよう」。そう思っている。「でも、それは『子どものため』というより、『自分がそうありたい』から、そうしている部分もある」と明かす。「ちょっとは、熱を持てるようになったんかな、と思いつつ、私の場合、『感情、もろ出し』で、冷静さはないないので、やっぱりまだ、なにか足りんのかな」。そう省みることも、しばしば。

 

◆「なりたい自分」に寄り添う

 

子どもが夢を語るとき、心掛けていることがある。「安易につぶさず、でも、安易に背中を押さない。その夢に向かって、一緒に道筋を考える。子どもの夢だからといって、絶対、バカにしない」。一方で、「こういう夢を持っているわりに、そういうとこ、手を抜くの?」みたいなことも言っちゃう。

 

なぜ、「安易に背中を押さない」のか。

 

「子どもの夢って、コロコロ変わるじゃないですか。変わること自体は悪いことじゃない。なので、『これになりたい』『うん、なれるんじゃない』って簡単に決めず、一緒に考えていきたい。かなわないこともあるけど、口だけで終わらせてほしくない。それに向けて努力することじたい、決して無駄にならない。だから、努力することも含め、全力で応援したい」。

 

今、担任を受け持つ3年生にも、昨年受け持っていた6年生にも、「夢はない」という子はいる。「夢」という言葉が、なにか漠然と、実体のないイメージを膨らませているのではないか。もっと「等身大」の自分に近い方がいい。なので、「なりたい自分」と言い換えている。「なりたい自分」の具体像を思い描き、「今の自分」との間に道筋をつけ、それを応援する。楽な方に流れてしまいそうになっても、「道筋」が見えている限り、軌道修正しながら、次に頑張る目標を見つけられる。

 

先生になって5年目。自分の中でも「なりたい教師像」が、少しずつ具体化されていくのを実感している。いろいろな先生、そして子どもたちとの出会い、それが「自分の足りんところ」を補い、少しずつ強化してくれている。

 

自らの生いたちを顧み、あのころと重ね、気になる子もいる。「虐待ぎみなのかな、とか、放置されているのかな、とか。自分にも経験があるからこそ、気付く部分もあるけど、そのハードルは意外と高いですね。思い描いていたほど、できないのだなって」。そう感じる。

 

教員として口を出せること、家庭のことだから口を出せないこと。その一線が、明確にある。仮に口を出しても、その先、どこまで責任を持つことができるのか。支えるにしても、中途半端だと、逆効果になることもある。結局、児童相談所など公的機関に委ね、正規のルートや手続きに頼らざるをえない。理想と現実のギャップに、「歯がゆいな」との思いが募る。

 

◆〝真剣勝負〟に 応えた教え子たち

 

今年1月、ある〝事件〟があった。発端は昨年の2学期。クラスのA君が友達と一緒に、B君の個人的な特徴をからかった。すかさず、指導に入る。なぜ、その行為がいけないのか。そこに、友達をさげすむ気持ちはなかったのか。周囲のクラスメートも含め、ていねいに説明し、双方納得したことを確認の上、〝和解〟した。そう思っていた。

 

ところが、年が明けた1月。クラス横断の「総合学習」の際、自分の担当と異なるテーマで学んでいた学習グループで、他のクラスの子にそそのかされ、A君がまた、B君をからかった。授業の後、その情報を聞き、A君をただすと、「つい、面白がってやった」と認めた。しかも、その様子を周囲で見ていたのに、注意しなかったクラスメートがいたことも分かった。「もうショックで、カチンと来て、私、キレました」。

 

「これ、もう意味ないよね。守れないよね」。そう言って、お互いに高め合っていこうとの決意を込めた「学級目標」の掲示をはがした。何に怒り心頭なのか、かなりきつい言葉も交え、真剣に叱った。すると、C君が、こう言う。「先生、こいつば、ちゃんと、そういうことがないよう、引っ張り上げるから。みんなで、もっと頑張りたいから。全員で、最後まで駆け抜けたいから」。A君も「本当にごめん。おれが軽い気持ちでやったことで」と謝った。

 

「そこまで言うなら、卒業まで見守っていきます」。そう言って、その場は収めた。

 

3月。卒業式で入場直前、C君が、ぼそっと言った。「先生、おれら、(A君のこと)見捨てんかったよ。みんなで、ここまで来たよ」。C君は新学期当初から、自分なりの「リーダー像」を模索してきた。そんな教え子たちの成長ぶりに、開式前から、感極まりそうになった。

 

◆「恩返し」から「恩送り」へ

 

大学1年の時、カナエールの会場で「小学校の先生になります」とスピーチした後、担任だったM先生が、テレビ局のインタビューに、涙を流しながら応じる姿が目撃されている。新任教諭として教壇に立つ年の年賀状には、「ただ一心に頑張ってください」とのメッセージが添えられていた。シャイで、教え子思いの恩師は、定年後も再任用で教壇に立つ。

 

カナエールのエンパワの「ともちゃん」とは、こんな思い出がある。

 

自分は「情が薄い」と思っていたけど、カナエールを通じて振り返ってみると、これまでの人生、本当に、いろいろな人に支えられ、ここまで生きてこられた。だから、恩返しをしていかないと—。そんな思いを打ち明けた。

 

すると、ともちゃんは、こう諭した。

 

「恩をかけてくれた人は、別に何かを返してほしくて、そうしているわけじゃないから。その人たちも、きっと、誰かにいろいろなことをしてもらって、『本当に助かった』との思いがあったから、今、そうしているんだと思う。無理に『恩返し』しようと考えると、かえってきつくなるから、自分ができるときに、そこにいる誰かに、自分のできることをしてあげる。それで、いいんじゃないかな」。

 

「恩返し」ではなく、「恩送り」—。

 

ともちゃんの言葉を、かみしめながら、日々、子どもたちと向き合う。

 

カナエール活動中のちーちゃん

 


カナエールで夢を語った「登壇者のいま」は、3回シリーズです。

>> 第1回「なっさん」はこちら

>> 第3回「チャンプ」はこちら

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