
ニュース・活動報告

「目線を合わせて、みんなで居場所をつくりたい」。そんな思いを胸に、仕事に向き合う事務局スタッフがいます。ニックネーム「でらちゃん」こと、小野寺涼子(38)。看護師として活躍後、子育てをきっかけに在宅でできるライターやメディアの運営を経て、2023年10月に認定NPO法人ブリッジフォースマイル(B4S)へ入職しました。居場所事業や巣立ち支援などのプロジェクトを担当し、親を頼れない子ども・若者たちの自立支援に取り組んでいます。どのように、「今」に至ったのでしょう—
神奈川県横浜市。住宅街の一画に、B4Sの居場所施設「よこはまポートフォー(YPF)」があります。横浜市の委託事業で、今年2024年に開設12周年を迎えました。そこでは、児童養護施設や里親家庭など「社会的養護」を経験した子ども・若者たちや、社会的養護に繋がってこなかった「虐待サバイバー」などの、親を頼れない子ども・若者たちの交流の場として週に3日間(金・土・日・祝)開所し、月に延べ70人ほどが利用しています。
YPFでは、B4Sの事務局スタッフやボランティアが交代で通い、利用者と一緒に夕食を作って食べたり、ボードゲームをしたり、雑談をしたり—ここで思い思いの過ごし方をします。
■「居場所」は “みんなでつくる”
YPFの担当になって1年ほどの「でらちゃん」は、来所者とのなにげない雑談や食事を共にする時間をとおして、一緒に居場所をつくっているんだと語ります。
YPFでは、「みんなで安心して過ごせるルールを守る以外は、基本的には自由」なんです。おしゃべりをしてもいいし、一緒に映画を観てもいい、ちょっと疲れていたらお昼寝だってしていいんです。そんな時間を共有することで、徐々に信頼がうまれ「居場所」ができていくんだと思います。
初めてここに来る利用者さんは、最初は少し緊張しているように見えます。でも、見守っているうちに、徐々に溶け込んでいくのを感じるんです。それがとっても嬉しいです。
例えば、ふとした時に私たちスタッフに対してプライベートなことや悩みごと、「最近こういうのを買ったんだ!」みたいな嬉しかったこと…いろんな話をしてくれるようになるんです。そういう時は、「関係性ができたんだな」と実感します。
また、利用者さんからの希望があれば、個別相談の対応をすることもあります。必要であれば行政機関やB4Sの支援の紹介などをしています。
実は、こちらからプライベートな部分は詮索しないようにしています。でも、個別相談のように頼られたときは、受け止められるようにしっかりと体制を整えているんです。こちらから近づきすぎても「依存」に繋がってしまうかもしれないので、一定の距離感を保ち、対等な関係性を大切にしながら接しています。
YPFで利用者と談笑をするでらちゃん
■今のスタンスに繋がった経験
でらちゃんは、宮城県で生まれ育ちました。家の目の前は広大な田んぼ。そんな自然豊かな環境で一つ屋根の下、両親、弟がふたり、祖父母、曾祖父母の9人家族でした。
両親はあまり仲が良くなかったです。単身赴任の父は、帰ってきても週に一度程度。母は看護師で夜勤もあり、基本的には祖父母や曾祖父母が面倒をみてくれました。寂しいと感じることはあまりなかったです。帰宅したら絶対に誰かがいるし、祖父母や曾祖父母はとても優しかったので、安心感がありました。
でも、離婚の話は何回も出たことがあって。住む場所や苗字が変わるかもしれないと、両親に何回も振り回されたのが嫌でしたね。「私は私。私の人生なのに、なんでこんなに両親に振り回されるんだ…」と思っていました。
また、安心感はあっても窮屈な思いをしていたと言います。
当時の私は喧嘩っ早くて、正義感も強く、曲がったことが大嫌いだったので、よく祖父母や学校の先生から「女の子/お姉ちゃんなんだから、○○しなさい」と言われていました。例えば、友人がいじめられたと聞くと、私が代わりに仕返しをしに行っていました。そしたら、まわりは「女の子なんだから、もっとおしとやかになりなさい」と言ってきて。私は「女の子/お姉ちゃんに生まれたくて生まれたわけじゃないのに…」とモヤモヤしていました。
このような経験をしてきたからこそ、今接している子ども・若者たちには「○○なんだから、こうしなよ」というような言い方はしないように心がけています。レッテルを貼りたくないので。
■対人支援に従事するきっかけ
そんなでらちゃんは、看護師として働く母の姿を見て憧れを抱いていたと言います。
母の働く姿は誇らしかったです。昔から「かっこいいな、こういう仕事をやってみたいな」と思っていました。同じ看護師という道を選んだのも、母の影響です。
あと、小学校時代に学校行事で特別養護老人ホームを訪問した際に、自分のやったことに対して入居者の方が喜んでくれたことが嬉しかった経験を通して、こんなふうに「人と関わる仕事」をしたいと、当時から思っていました。
そして看護学校へ進学したでらちゃんは、病院で看護師として勤務をはじめました。しかし、結婚を機に退職を決意します。自身のお子さんを見守る時間を確保するためでした。離職後は、勤務時間の調整がきく在宅ワークが可能なWebメディアの運営などを5年ほどこなしていました。ですが、ある時心境の変化がありました。
漠然と「今後自分はどうしたいんだろう、なにをやりたいんだろう」と悩み、以前のような対人支援をしたいという気持ちが芽生えていました。でも、子育てをしているので今の生活スタイルは大幅に変えたくなかったですし、働ける時間も限られていました。
まずは元々関心があった「社会的養護 ※1」について調べてみると、児童養護施設の職員の求人に目が留まりました。しかし、夜勤があると知ってからは子育てとの両立を考えて見送ったと言います。
※1 社会的養護:保護者のない児童や、保護者に監護させることが適当でない児童を、公的責任で社会的に養育し、保護するとともに、養育に大きな困難を抱える家庭への支援を行うこと。 出典:こども家庭庁HP
社会的養護に関連する職をネットで探している時、B4Sの居場所事業の求人が出てきました。「居場所事業」の存在はここで初めて知りましたが、直接当事者のみなさんと関わるという点は、私の希望に合っていました。また、居場所への出勤以外はほぼフルリモートで、さらにフルフレックスなので調整がきくのは働きやすそうだと思いました。
あとは求人ページに掲載されていた、理事長の「がんばるべきなのは 子どもたちではなく 大人たちです。」という言葉に感銘を受けました。大人の事情に振り回される子どもたちに一切非はない。これは幼少期の体験から強く感じていたので、社会的養護下の子どもたちの力になりたいと思いました。
YPFで利用者とカードゲームをするでらちゃん
■子ども・若者たちの「選択肢」が増えてほしい
現在接している、子ども・若者たちに対しての想いを明かしてくれました。
みんなの「選択肢」が増えてほしいと強く思います。自分がいいと思ったこと・やりたいと思ったことを「選択できる回数」が増えてほしいです。
大人になると、選択の幅はどんどん広がります。でも、そもそも選ぶということを体験したことがない「環境や親からさまざまなことを強制されていた子」は、自分が何をしたいか分からなくなってしまうケースがあります。これは環境要因や自己肯定感の低さなどが原因だと考えられます。なので、居場所に来た子ども・若者たちには「今日はなにを食べたい?」と聞いて、一緒に夕飯のメニューを考えるようにしています。ご寄付でいただいた食材を使って調理をするので、リクエスト通りにいかないこともあるのですが、このような些細なことでも「選択して、それが実現する体験」ができるようにしています。
また、小さいことでも相談したいときに打ち明けられる相手がいるのも大切です。これが積もり積もって安心や自信につながったり、「次はどうしよう」と考えたりするきっかけになります。安心できる環境で時間を過ごすことができる、これは自立支援の第一歩です。このとき、相手が求めていないことはしないよう「目線を合わせて、寄り添うこと」を、私は大切にしています。押し付けることは自立を阻害してしまいます。幼少期に選べなかった分、その子が生きたいと思った人生になるよう、こうなりたいと思った姿になれるよう、そのサポートをしていきたいです。
<メモ> B4Sでは副業が可能なため、でらちゃんは現在もWebメディアのお仕事を調整しながら続けています。多様なライフステージにいるスタッフ一人ひとりを尊重しています。
<1日の動き>
■デスクワークの日
10:00~12:00 居場所スタッフMTG
12:00~13:00 休憩
13:00~15:00 居場所運営に関する事務作業
15:00~16:00 巣立ちセミナーや資格取得等支援事業に関する事務作業
■居場所勤務の日
10:00~12:00 居場所運営に関する事務作業
12:00~13:00 休憩
13:00~14:00 居場所開所準備
14:00~16:00 居場所運営・個別相談
16:00~18:00 夕食準備
18:00~19:00 夕食
19:00~20:00 ボードゲーム等の交流
20:00~21:00 振り返りMTG・個別記録
◆職員紹介 居場所スタッフ みみろん「児童福祉は、すべての経験が生かされる仕事」
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