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安全安心な居場所づくり~よこはま Port Forで過ごした10年間(前編)
Mattyお疲れさま会集合写真

横浜駅から海側に5分ほど歩いたマンションの一室に、ブリッジフォースマイル(以下「B4S」)が施設退所者などの居場所として設置している「よこはまPort For」(以下「YPF」)があります。

YPFは横浜市の受託事業として2012年に開設され、今年でちょうど10周年。B4S職員とサポーターが協力して、週に数回、利用者の若者と食事をしたり、イベントを企画したりしています。

 

10年間、ほぼ一貫してYPFに関わってきたB4S職員が、元自衛官のMattyです。

MattyはどんなきっかけでB4Sに入職し、どんな思いで居場所に集まる若者やスタッフと関わってきたのでしょうか。8月末で退職を迎えるMattyに、熱い思いを語ってもらいました(取材は7月に実施)。2回に分けてお伝えします

 

◆モチベーションは「子どもの笑顔が見たい」という思い

元々は海上自衛隊に勤めていて、航空部隊で通信関係の仕事やコンピュータ整備の仕事をしていました。当時から、職場の任意団体で児童養護施設でのボランティアを行っており、子どもたちと年に1~2回、施設の環境整備を実施したり、基地に招待して一緒にバーベキューをしたり、体験搭乗に招いて飛行機に乗って空から自分の施設を見てもらうといったことを10年ほど続けていました。

そんな経緯もあり、2011年に54才で定年を迎えた後、今度は児童養護施設に関わる仕事をやってみたいと思いました。でも、なかなか仕事は見つからず、さてどうしようかと思っていたところ、たまたまインターネットで東京都のNGO・NPO人材を育成する研修を見つけ、半年にわたって受講することになりました。

 

B4Sのことは、研修後、教官から紹介された研修を通じて知りました。「子どもの笑顔が見たい」という自分の思いとB4Sの活動が合致したのでスタッフとして働きたいと思いましたが、当時は募集がなく断念。しばらくはサポーターとしてB4Sの活動を続け、2013年4月から職員になりました。

B4S職員になったのはYPF開所(2012年10月)の後ですが、YPFには開所当時から関わっています。自立ナビ(※1)をやっていたので、自分の担当の子と開所したばかりのYPFを訪れ、その子が利用登録第一号になりました。そこから、YPFでのボランティアも始めました。

 

「子どもの笑顔が見たい」という思いが、私の基本的なモチベーションです。本当に困っている人を助けるにはスキルや経験が必要ですが、子どもたちが今持っている元気を維持する環境を整えることなら、専門知識を持たない自分にもできる。だから、楽しいイベントを考えて、子どもたちと一緒に楽しく過ごす、アトモ(※2)や居場所事業のような活動が、自分には合っていると思います。

 

※1 自立ナビゲーション:児童養護施設等の出身者一人ひとりに、専任のメンターボランティア(自立ナビゲーター)が付き、大きく環境が変わる若者たちの巣立ちを支えるプログラム

※2 アトモプロジェクト:児童養護施設等の出身者が巣立った「アトモ」楽しく集まり仲間とつながるため、各種イベント(バーベキュー、クリスマスパーティ、各種セミナーなど)を行うプログラム

 

楽しかった年越しイベント。居心地のよさが、仇になることも

YPFのできごとのなかで最初に行った年越しイベントは強く印象に残っています。

大晦日の昼から元旦の昼にかけて夜通しYPFを開けて、利用者の出入り自由で、若者たちとワイワイガヤガヤ過ごしました。20才以上はお酒もOKで(お酒を飲まないスタッフも必ず入れましたが)、交代で寝起きして、ごろ寝。楽しかったです。当時は開所日が多い一方、関わるスタッフは限られていたので、今より若者とスタッフが一緒にワイワイできる関係性がありました。利用者同士も仲がよかった。こちらはよい思い出です。

 

逆の意味で印象的だったこともあります。それは、一部の退所者とスタッフとの関係がこじれたり、他の退所者が入って来づらくなったりしたことです。退所後長期にわたって他に行く場所がない人の支援は課題です。ただ、そうした人が居場所の主(ぬし)になってしまうと、皆の居場所としては運営しづらくなる。一部の退所者の影響で他の退所者が来られなくなったら、居場所が居場所でなくなってしまいます。一方で、「そういう人にこそ居場所が必要である」というジレンマもあります。そういう点で、居場所運営は難しいと思います。

 

◆安心安全な居場所を作るために、大切にしている3つのこと

安全安心な居場所を作るために、私が心がけていることを3つ紹介します。

1つ目は、刃物を表に出さないこと。カッターなど、使った場所にポンと置いたままにしがちですが、ケンカが起きた時、目の前に刃物があるとパッと握ってしまう人もいます。自衛隊でも刃物は必ず鍵がかかる場所にしまっていました。YPFの利用者の中には、刃物が出ているだけで怖がる人もいます。カッターや包丁などは、使ったら放置せず、すぐに元の場所に戻す。安全面で最も気を付けていることです。

 

2つ目は、利用環境を整えることです。例えば、YPFには寄付者からいただいたお米が置いてありますが、寄付米の大部分は玄米なので、使いやすいようにスタッフが精米しています。一度、精米したお米を切らして利用者から苦情が出たことがあり、以来、いつでも持ち帰りできるよう、こまめに精米しています。必要な日用品が揃っている、使いたい時にゴミ袋がある、トイレ掃除が行き届いている…。細かいことですが、そうした利用環境を整えることが、利用者に信頼してもらうために重要だと思います。「気軽に来てねと言いながら、やることやってない」とならないように。自分の家では全然やりませんが(笑)。

 

3つ目は、こまめなメールチェックです。利用者から緊急の相談があった時、返事が遅かったら信頼を損ないます。「困ったら連絡しなさいと言うからメールしたのに、見てないじゃん!」となって、二度と相談してこなくなるかもしれない。だから、利用者からのメールには、一言二言でも、必ず24時間以内に返事するようにしています。メールチェックは数分で終わり、ルーティン化すれば難しいことではないので、休日も欠かしません。今はYPFだけを担当しているから、そうできるのかもしれませんが。

 

◆少しずつ変わり続けてきたYPFの役割と運営

YPFの利用者は、以前も今も、巣立ちプロジェクト(※3)からの流れで登録する人や、横浜市の退所者等向け支援事業とセットで登録する人が大半です。

過去の利用者の中には、誕生日にメッセージをやりとりしたり、災害発生時に安否を確認しあったり、今でもつながりのある人が少なくありません。過去には週5日YPFを開けていた時期があり、その頃、ほとんど毎日やってきて、年間滞在日数200日という者もいました。

 

ただ、あまり居心地が良くなって離れていかないのも、良くありません。社会とつながれるようになった若者は、自然とYPFから離れて姿を見せなくなります。それは良いことだと思います。だから、YPFを運営する中で、居心地が良すぎては良くない、いずれは利用できなくする方向が良いのでは、という問題提起も出てきました。自分自身、YPFの意義を皆で集まって楽しく過ごす場所と捉えていましたが、今は利用者が自立を目指す場という意義もあると思っています。

 

YPFの運営方法も変わってきています。開設当時は、居場所事業や専門支援、施設とのやり取りは、同じスタッフが行っていました。次第にB4Sの規模が拡大してきたため、ある時点でチームを分けて、それぞれに専門性を高めていく形になりました。

今は、個別支援の専門スキルを持つスタッフがいることもあって、利用者からの相談を受けている割合が増えています。ただ、基本的なYPFの役割は、皆が安心して楽しく過ごせる場所の提供だと思うので、早く仕事に就いた方がいいんじゃないかとか、勉強しないとだめじゃないかといった話は個別支援のスタッフに任せて、自分はあまり言わないようにしています。YPFとしても、居場所事業の時間と個別相談の時間を分けるなど、工夫しながら運営しています。

 

※3 巣立ちプロジェクト:巣立ちを控えた高校3年生向けの一人暮らし準備セミナー。横浜でも開催。

>>後編はこちら

 

Mattyお疲れさま会その2

 

 

 

取材・執筆 なっきー
2019年にボランティアに登録。活動は4年目です。
YPFには行ったことがありませんが、若者たちがいつでも寛げる場所を作りたいというMattyの思いの深さ、細やかさに、心を打たれました。

Bridge for Smile

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