
ニュース・活動報告

サポーター(社会人ボランティア)として長くブリッジフォースマイル(B4S)で活動したのち、スタッフとして入職した「むぅ」。20代は一般企業で働きながら巣立ちプロジェクトのサポーターを経験。30代は一度B4Sを離れて実家の事業を継ぎ、約10年の時を経てB4Sに入職しました。今は、かつてサポーター時代に参加していた巣立ちプロジェクトの運営スタッフとして、高校生の自立支援に取り組んでいます。
実は半年前にインタビューを一度断っているむぅ。
過去を話すことに抵抗感を感じていたが、一度話してみることで違う気づきがあるかも、と自分自身のためにもトライしてみたと話してくれました。どんな経験が今のむぅを形作っているのか、そして高校生たちの支援につながっているのでしょうか。
■10年以上前にさかのぼるB4Sとの出会い
長くサポーターとして活動してからスタッフになったむぅ。B4Sとの出会いは10年以上前にさかのぼります。
B4Sを知ったのは、20代後半。仕事が安定してきて、仕事以外のことに目を向けられる余裕が出てきた頃、視野や世界を広げたいなと考えていたんです。そんなときにmixiコミュニティ(SNS)を見ていたら、「巣立ちプロジェクト(以下、巣立ち)」のボランティア募集があって。ちょうど翌日が説明会の日だったので、思いつきで申し込みました。『ボランティアがしたい』という熱意があったわけではなく、何かを始めるなら人と関わること、自分が成長できることがしたいと思っていたので、自分自身の成長にもつながるかも?というくらいの感じでしたね。
2026年で21歳(創立21年目)を迎えたB4Sも、当時はNPOとして立ち上げ段階で、説明会では代表のえりほや(林恵子)、ちぇりーやマイケルが話していたのを覚えています。※ 発展途上国では親を頼れない子どもたちがいるという認識がありましたが、日本では遠い存在だと思っていて。日本にも親を頼れない子どもたちがいるんだ、それに対して志を持って働いている人がいるんだ、と驚きました。「巣立ち」の雰囲気がウェルカムだったので、ちょっとやってみようかなと思い、サポーターとしての活動を始めました。
※B4Sでは、当事者・サポーター・スタッフみんながお互いをニックネームで呼びます。当事者の個人情報を保護する目的が第一ですが、大人同士もニックネームで呼び合うことで距離が縮まりやすく、またフラットな関係でいられる効果があります。ちぇりーとマイケルはこちらに登場している菅原(ちぇりー)と矢森(マイケル)。

サポーター時代のむぅ。子どもたちと調理実習中
現在も巣立ちプロジェクトに関わっているむぅですが、一度サポーターを辞めています。
実はボランティアを始めたときが、勤めていた会社を辞めて、実家の仕事を継ごうと動きはじめた時期だったんです。会社を辞めた後は半年くらい学校に通っていたので少し余裕があったのですが、実家の仕事を始めてからは本当に忙しくなりました。小さな飲食店だったので、自分の視野が狭まっていくことも感じていました。
そんなときにサポーター活動をすることで、たくさんの社会人と出会える。高校生も色々な不安を抱えてはいましたが、退所後の夢を持っていて、目標がある。そんな一生懸命な姿を見ると、高校生に負けないように頑張らなきゃいけないなと励まされました。
ただ、家業を続けていく中で、お店をどう成長させるか考えることでいっぱいになり、4年目でB4Sは一度退会しました。そのあと10年以上は仕事しかしていないといっても過言ではないですね。
■ことごとく親とぶつかる日々
そもそも家業を継ぎたいという気持ちはなかったと話す一方で、心の奥底では相反する想いもありました。
一般家庭とは違いますし、親のストレスもわかっていました。そんな親の姿を傍で見ながら、よく考える子どもだったと思います。10代のころには両親と価値観が合わないことにも気付いていました。社会人になってからは縁を切ろうと思って、何年か連絡を取らないこともありました。
小学生のころから実家の仕事は継ぎたくないけれど、どこかでやらなきゃいけないという感情もありました。例えば、アルバイトをするときも、将来家業を継いだときに役立つかも・・・という意識があったり。
そして30歳手前で、いつか継ぐときのために、準備だけはしておこうという気持ちになったんです。祖父が作ったお店なので、守りたいという感情もありました。半年間の学校を卒業後、いろいろ考えた末、家業に入ることを決めましたが、価値観が違うことは初めから分かっていたので、いばらの道だと覚悟はしていました。
実家での仕事は、どんな毎日だったのでしょうか。
親が上司になり、自分が部下になる。割り切れる関係ならよかったかもしれないですが、やはり難しかったです。時代の変遷とともに、会社として変わっていかないといけないこともありますよね。ただ、飲食店ということもあり親は職人気質で、なかなか理解してもらえなかったです。会社の発展を考えたときに、あらためて価値観のギャップを感じました。
そんな苦しい状況が続き、10年目―
10年やってみて、やっぱり自分の思い描いていたようにはうまくいかないことがたくさんありました。そして、休みの日もずっと仕事のことを考えているような働き方だったので、体調もおかしくなっていました。
どうしたらこの苦しい状況を変えられるのか・・・。
何度も諦めかけては前を向き、また諦めかけては前を向き、ということをしていましたが、このまま現状を無理矢理続けることのほうが返って周りを不幸にするのでは、と思いました。それで、家族と話し合って、会社を譲渡することに決めました。
実家の仕事から離れるという大きな決断は、簡単なものではありませんでした。
コロナが始まった後に、約1年の引き継ぎを経て会社を譲渡。自分が継ごうと思っていた会社を手放したので、大きな喪失感がありました。引継ぎが終わったタイミングで家業からはきっぱりと離れる決断をしました。
ただ、辞めた後が一番しんどかった。何の感情もなかったというか、自分の感情がわからなくなって・・・半年間くらい、生きていても意味ないなという感覚がありました。死んじゃいけないという理解は頭の奥底にあったのですが、どうしたら生きられるのかをずっと考えていました。
子ども支援の現場で、子どもたちに「やりたいことはない?」と聞いている場面を見ることがありますが、聞かれるのが辛いと感じる子がいるのも分かるようになりました。
人ってただ希望を持てばいいわけではない。簡単ではないですからね。
■再び扉を叩いたB4S
生きる意味が分からなくなった辛い時期を経て、なぜまたB4Sの活動を始めることになったのでしょうか。
自分が生涯をかけて守ろうとしたものを手放して、せっかく違う人生を生きるなら、何かをしたいな、とは思っていました。
1回きりの人生、どうせなら人の役に立ってみたいと思って、人の役に立つって何だろう?と考えたときに、ボランティアをやっていたことを思い出しました。
まだB4Sってあるのかなと思いホームページを見たら、当時のスタッフがまだいることが分かって。そしてちょうどスタッフ募集もしていました。当時元気をもらっていた「巣立ち」にもう1回・・・そういう生き方をしてもいいかなと思ったんです。
この10数年でNPOの幅も広がり、数も増えていますが、B4Sに戻ることを決めた理由はー
下地にあるのは、やはり昔のサポーター時代の記憶です。あのとき「巣立ち」で関わった子たちのことをまだ覚えているんです。それと、少し大げさかもしれませんが、国の将来を背負っていくのは若い人なので、若者が元気な国であってほしい。
経営者として組織を良くするには、成長させるにはどうしたらいいのかを勉強していましたが、若手社員が生き生きしている、のびのびしていることが重要だと学びました。国でいえば若い人たちですよね。
自分が誰の役に立ちたいか?と考えたとき、若者を応援できたらいいなぁと思ったんです。

B4Sに入職した後、また巣立ちプロジェクトに参加することになります。
1年目は人材開発のチーム。直属の上司のおかげで、順調になじむことができました。多くのサポーターと関わる中で、前の仕事のつらい経験を引きずりながらも、凝り固まった考えが和らぎました。サポーターの皆さんは気持ちがキレイで、一緒に仕事をすることで前向きになれました。
2年目以降は巣立ちのチームに入っています。当時はサポーターだったので、目の前の高校生に対して真正面から向き合っていましたが、今は運営側としてカリキュラムを作ったり裏側から支えています。
立場が変わったことで、活動でのやりがいも変わりました。
サポーターのときは、やはり高校生の変化にやりがいを感じていました。初回の朝はすごく緊張していたり、抵抗感を持っていたりすることがよくわかります。でも、こちらが正面から向き合ってアドバイスをすると、帰るときには変わっている。回を重ねるごとに緊張感が和らいでいくんです。
今は特定の子に関わることはありませんが、どうしたら負担感なく前向きにワークに取り組んでくれるのかを日々考えています。実際に現場で見たときに、活発に意見交換が行われていたり、真剣にワークシートに向き合ってくれたりする姿を見るとやりがいを感じます。
また、高校生だけでなくサポーターに対しても、活動を継続してもらえるようフォローしています。当時、自分がサポーターだったときに感じていたように、自分自身にとってもプラスになっていると感じる場所になるといいなと。よくわからないまま終わってしまった、とならないように、ていねいに情報の案内をするように心がけています。
当時と現在、両方の巣立ちプロジェクトを知っているむぅに、今後の展望を聞いてみました。
一昨年から、カリキュラムのアップデートをしているところです。今よりさらに、高校生にとって参加してよかったと思えるようなプログラムにしていきたいと思っています。
これから高校生のみんなが社会に出るとき、大人になっていったときに、最終的に自己決定をしなければならない場面、自分自身のことは自分しかわからないというタイミングが出てきます。そんなとき、自分自身の気持ちと向き合えるような状態になってくれたらうれしいです。今はできなくても、「そういえば巣立ちで自分と向き合ったな」という練習になればいい。
退所後につまずくことも、大変なこともあると思いますが、周りがどんなサポートをしても、自分自身が課題に対して「こうしたい」という意思を持たない限りは解決の第一歩にならないと考えています。困ったときほどその意思を持てるよう、巣立ちプロジェクトを通して支援していきたいです。

巣立ちプロジェクトに参加した子たちが、高校卒業後に再び集まる「アトモプロジェクト」のBBQでも、せっせと働くむぅ。とにかく気が利く頼りがいのあるスタッフ。
■これまでの人生を振り返って・・
苦しい日々を経て、今思うことはー
とりあえず、生きていてよかったと思います。生きていてよかったと思えるように感じられるようになった、という方が正しいですかね。浮き沈みがあったからこそ、いろんな感情に気づけるようになりました。「今自分は幸せを感じている」ということを実感する時もあります。さまざまな経験があったからこそ、ですね。
苦しんでいる若者がいても、1年後は変わっているかもしれないから、ということを伝えたいです。
いつか、楽しいとか嬉しいとか幸せとかを感じられるようになったとき、その感情に向き合えるようになったら、苦しさから解放される気がします。
昔、カウンセラーから言われた言葉で、印象に残っている言葉があります。
自分が「幸せになりたいと思っている」と言ったら、「幸せはなるものではなく、感じるもの」と。
「幸せを感じる」ことを意識すると、日常に細かく散らばっているんですよね。幸せを感じることを積み重ねていくのが、いつか幸せになるってことなのかな。これからも幸せを感じることが多い日々を、幸せを感じる目線を、大切にしたいと思っています。
■B4Sでの活動を考えている方へのメッセージ
最初は勢いでサポーターとしての活動を始めたむぅですが、その勢いがなかなか出ない人も多いのではないでしょうか。そんな方たちに伝えたいメッセージがあります。
迷ったらとりあえず1回、巣立ちプロジェクトのボランティアに参加してみてほしいです。B4Sは職場とも家庭とも違う、社会的地位や上下もない、サードプレイスのような場所です。社会的養護のことをよく知らないという人でも、安心してボランティアできるように研修も整っているのがB4Sの強みなので、学べる楽しさもあると思います。
一昔前は知識的にも経験的にも、大人が高校生に教えてあげる関係性でしたが、高校生も大人が知らない知識や情報を持っていて、お互いに教え合う、刺激し合う、そういう関係性を楽しめます。普段にはない環境での出会いを楽しめる方はぜひチャレンジしてみてください。また、若者を応援したい気持ちがある人は、経験と出会いが増えるほど、自分の視野も広がっていくと思います。
サポーターもスタッフも、若者支援という言葉のもとに集まってくるので、みんな前向きです。チームを組んで色々な支援をしていくことが多いので、仲間意識をもって働いていきたいという方が参画してくれると嬉しいですね。

同じテーブルでミーティングの準備をするむぅとちぇりー
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