退所者支援の現場から〈4〉アフターケアの地域差

私は関東以外の施設での出張セミナーや、関東外から東京方面に出てくる若者の相談にのったりしています。
そんななか、関東で活動をしているときにはあまり感じなかった「アフターケア(施設退所者を支援すること)」の難しさを感じることがあります。3つほどあげてみたいと思います。
なお、以下はあくまでも、私個人の主観であることをお断りしておきます。

 

1.人手が足りない

都市部の児童養護施設でも職員の人手不足はいわれていますが、地方をまわってみると、さらに職員の確保に苦慮している施設は多いように思います。
児童養護施設の職員配置(子どもの人数何人につき、職員を何人配置するか)は近年だいぶ改善されていますが、正職員の確保が難しく、パート職員などでなんとかまかなっている施設の話もよく耳にします。
そうなると、当然アフターケアまでなかなか手がまわりません。熱意のある職員が勤務時間外でアフターケアをやっているケースもありますが、それも度を超すと燃え尽きて辞めてしまうこともあります。

 

2.児童養護施設に対する理解が進んでない

施設退所後の就労や家を借りたりする際に、保証人や緊急連絡先に親族を求められることは多いです。その際に「児童養護施設」と説明するのですが、ピンとこなかったり、障害者や触法少年と勘違いされたりすることも多く、入居を断られてしまうことが何度かありました。
地域にもよるかもしれませんが、個人的には地方都市では児童養護施設への理解がまだまだ進んでないと感じることは多かったです。もっともこれに関しては東京で家探しをしている際にも、同じ問題を感じることは多いです。

 

3.地元を離れる子が多い

地方では仕事や学校の種類・数が必ずしも十分ではありません。そのため、本人が希望する・しないに関わらず地元を離れて就職・進学する子はやはり多いです。ある県ではその年卒業する高校3年生の半分が県外に出てしまうケースもありました。
県外に出てしまうとやはりアフターケアの手が届きにくくなるのは事実だと思います。

 

(事務局スタッフD)


 

施設で生活する子どもたちの多くは、高校を卒業すると同時に施設を出なければなりません。退所後の住まいは大きな懸案事項です。

 

退所後、アパートで一人暮らしをする際、本人名義で借りる場合は保証人の問題があります。かつては、施設長が保証人となり、家賃を滞納したり、行方がわからなくなった場合、施設長もしくは施設が持ち出しで負担することが問題となっていました。

 

2007年以降、公的支援が少しずつ整い始め、施設長が保証人となって損害を被ったとしても、都道府県などが実施主体となる「身元保証人確保対策事業」で賄われるようになりました。この事業の保証期間は、現在、退所後2年以内の退所者であれば、1年ごとの更新で原則3年、都道府県などが必要と認める場合は最長4年となっています。

 

就職する場合、福利厚生に社員寮がある会社を選択することもあります。借り上げ寮として民間のアパートに住む場合もあります。その場合、連帯保証の心配はありませんが、仕事と住まいがセットになっているため、仕事を辞める時には同時に住まいも失うことになり、不安定な状況といえます。

 

自立援助ホームやグループホームなど、ケアする人がいる福祉施設に位置づけられる住まいもあります。障害者手帳を持っている場合は、障害者用のグループホームに入ることができます。大学などへ進学する場合は、自立援助ホームに卒業するまで住むことができるようになりました(自立援助ホームは本来、就労して自立を目指す人のために半年程度の短期間住まわせることを目的としています)。

 

高校卒業を機に自宅に戻ることもあります。しかしながら、家庭では上手く行かない理由があって施設に入ったことを考えると、自宅での生活は簡単なことではありません。
少しずつ制度が整ってきたとはいえ、自由に選べるほど選択肢は多くはありません。生活の最も基本である住まいをいかに安定的に保証するかが課題となっています。

 

(事務局スタッフC)

 

児童養護施設退所者で就業している者の住まいの状況(全国児童養護施設調査2018:B4S実施)

 

私は10代の頃から「孤独は人を殺す」と思うようになり、今もその考えは変わっていません。
それが他者に向かうのか自分自身に向かうのかは人によって異なると思いますが、視界に多くの人が映れば映るほど、人の声が聞こえれば聞こえるほど、独りを感じてしまう瞬間が訪れる頻度は高まり、心が痩せ細っていくのではないかと想像します。
本当は孤独ではなくて、誰かの心のなかにちゃんと自分がいるかもしれません。しかし、痩せ細った心の状態ではその繋がりも見えなくなって、気がつくと一人しか立てない足場にいるような、孤立感を覚えるのかもしれません。

 

誰かの存在を感じられながら生きられる人は、孤独ではありません。具体的には、例えば「死にたい」「何かを壊したい」という衝動に駆られた際に浮かぶ誰かの顔があれば、孤独ではないのだと私は思います。

 

退所者と関わるなかで会話を通して確認していることのひとつに、「この人の周りにはどんな人がいるんだろう」「この人は誰の存在を感じながら生きているんだろう」ということがあります。
とはいえ、「この人にとって何らかの決断を踏みとどまらせるのは誰の顔か」までを確認することは容易ではありません。関係性が深まったり長くなったりしている数名について、ぼんやりと「この人の顔を浮かべるのかなぁ」という程度です。

 

浮かぶ顔はきっと誰でもよくて、これを読んでくださっているあなたを含む誰もがその存在になれる可能性があります。施設職員や里親でなくても、例えば通院していた医師でも、通っていた学校の先生でも、私たちのようなアフターケア団体のスタッフでも、よいのだと思います。
私たちは、施設を出るまでの間にできるだけ多くの出会いを経験してほしいと、いろいろなプログラムを提供しています。『踏みとどまるための誰か』と出会ってもらうところまで考えているわけではありませんが、ひとつの出会いが大きなきっかけになり得ると信じて、これからも退所後支援に関わってまいります。

 

(事務局スタッフB)

1947年に制定された児童福祉法により、児童養護施設は18歳までの子どもたちを支援することとされています。しかし高度経済成長期、子どもたちは働き手として金の卵と重宝され、義務教育を終えると当たり前のように施設を退所し就職していきました。

 

経済発展を遂げた日本で高校進学が一般的になると、1973年より施設でも高校進学が選択できるようになり、高校に進学する人は高校卒業まで施設に居られるようになりました。それから少しずつ高校進学率は上がり、いまでは96.3%の子どもたちが高校進学をしています(※)。

 

中卒で就労する場合は中学卒業と同時に、高校を中退する場合も、学校に行かないことは、つまり「 働く」と解釈され、退所を促されます。しかしながら、中卒者や高校中退者こそ自立が困難で、社会適応が難しい子どもたちといえます。
自立援助ホームという働きながら自立を目指すための小規模施設での支援が生まれたり、通信教育とフリースクールを組み合わせて施設でなんとかサポートを続けたりといった取り組みが進められてきました。

 

18歳に達した後も、児童養護施設での養育を20歳に達するまで延長できる「措置延長」は、児童福祉法第31条に定められていますが、判断をするのは児童相談所です。例えば、自立の準備が整っていない子どもに対して、施設職員が措置延長の必要を訴えても、児童相談所がダメと判断すれば施設職員は従わざるを得ません。

 

現状、簡単に措置延長を認めることができない事情があります。一時保護所には施設への入所待ちをしている子どもが多数いるからです。そのため、施設が定員いっぱいの状態になっている地域では、措置延長が認められないことが多くあります。平成29年のデータでは、高校卒業と同時に施設を退所する子どもは82.7%となっています(※)。

 

(事務局スタッフA)

 

※出典:社会的養育の推進に向けて(厚生労働省子ども家庭局家庭福祉課:平成31年1月)


すでに報道されているとおり、2月25日東京都内の児童養護施設で施設長が亡くなる、そして容疑者として逮捕されたのが施設退所者である、という大変痛ましい事件がありました。この事件をきっかけに児童養護施設のことや、退所者たちの状況を知った方も多いと存じます。
今回の事件の背景をご理解いただく一助になればと考え、施設職員や退所者の置かれている状況をご説明いたします。

弊団体は2004年より児童養護施設から社会に巣立つ若者の自立を支援する活動をしております。施設で生活する中高生や退所後の若者たちと接するなかで、自立の大変さを目の当たりにしてきました。
特に施設退所後のサポート不足や、退所者たちが抱える孤立感は大きな課題だと捉えています。

様々な家庭の事情や心の傷を抱えて子どもたちは児童養護施設にやってきます。
一般家庭とは違うけれど、職員の支援の下で子どもたちは学校に通い、友達とゲームをするなど普通の生活をしています。一般家庭の子どもたちと大きく違うのは、18歳で施設を退所し自立しなければならないことです。頼れる親がいないなか、お金をやりくりし、自分でなんとか生活をしなければならない不安は計り知れません。

納税や社会保険の手続き、冠婚葬祭のマナーはどうしたらよいのか、具合が悪いときは病院の何科に行けばよいのかなど、社会に出てからわからないことに直面しても気軽に聞ける相手がいません。退所者のなかには、人と信頼関係を築くことが苦手で、トラブルが起きてもSOSの出し方がわからず、誰にも相談できないまま問題を大きくしてしまう者も少なくありません。
頼れる実家がないため、失業すれば住む家を失い、病気になっても収入の確保が優先で治療に専念することもできません。何かあったときに、安心して再出発ができる環境がないのです。

2004年に、退所後支援は施設の役割であると法律で義務付けられて以降、制度は少しずつ整ってきました。しかし、多くの施設は入所中の子どもたちのケアで精一杯で、退所後支援まではとても手が回っていません。
さらに、退所後の若者たちの状況は同じものはひとつとなく、10人いれば10通りの支援をする必要があります。その一つひとつに細やかに対応するためには予算も人員もとても足りず、施設職員たちの熱意と努力に頼りきっているのが現状です。退所者への支援には、退所者を受け入れる社会の力と、多くの方の力が必要なのです。

ブリッジフォースマイルは、社会と児童養護施設をつなぐことを目指し活動してきました。『親を頼れない子どもたちを社会全体で育てる』という考え方が、あたりまえになることを願ってやみません。これからも子どもたちの自立支援について考え、行動して参りたいと存じます。

今回の事件で亡くなられた大森信也さんは、自立支援をテーマにした共著を出されたり、全国各地域の職員向けの研修で講師を務めたりするなど、社会的養護全体の推進力になる大切な取り組みを数多く担われていた方でした。
大森さんに心から感謝するとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。

NPO法人ブリッジフォースマイル

Bridge for Smile

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