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「ここにいるよ!」 アロハシャツとドラクエの名刺入れに込めた思い
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児童養護施設を退所した若者たちのニーズにあわせた専門的な個別支援、セミナーの講師やカリキュラムづくり、新規拠点(佐賀、熊本、北海道)の立ち上げと運営サポートなどを主に担当しているマイケル。
団体の運営に欠かせない存在になっているマイケルですが、ブリッジフォースマイルとの関わりは、ボランティア(以下、サポーター)になった2007年から始まりました。
サポーターとして参加し、事務局スタッフになったころから今に至る16年間の心境の変化、個別支援に対する意識が変わるきっかけとなった忘れがたい子どもたちとの関わり、活動にあたって大切にしている思いなどを語ってもらいました。


◆ブリッジフォースマイルと出会い、サポーターから事務局スタッフへ

前職はIT企業で管理職です。同僚がうつ病やメンタルヘルスの不調になっているのを目にして、メンタルヘルスの症状や改善への取り組みなどを勉強していました。そこで、メンタルヘルスケアのサポートをしてみたいと思い、マンツーマンでメンターができるボランティア活動を探している中で、ブリッジフォースマイルと出会いました。

 

ボランティアとして参加した当時は、団体設立3年目。施設退所者へのマンツーマンサポートに加え、代表の林(以下、えりほ)と数名のサポーターさんと一緒に新しいプログラムを考え、実践、改善をしながら、それぞれに形にしていくこともしていました。
今思うと、事務局スタッフとサポーターの垣根はなく、「必要と思えば、なんでもやる」というスタンスでしたね。

 

その後しばらくはサポーターとして関わり、2010年にえりほから声がかかり、事務局スタッフとして働くようになりました。

最初は「仕事」というよりブリッジフォースマイルをお手伝いしているという感覚。しかし、社会的養護や虐待の現状を知り、児童養護施設で生活をしている子どもたちや退所後の若者たちと深く関わっていく中で、この現状に対する見る目が変わっていきました。
「子どもたちを守りたい。子どもたちの母親を守りたい。今まで以上に自分に何ができるのか」と。

 

新しいプログラムや、協力をしてくださるサポーターさんも増え、団体の活動が徐々に広がり、行政受託を得るようになってからは、給料も少しずつ上がっていきました。

 

やるべきと思ったら、なんでもやる。
「誰かが」ではなく、自分がやる。
新しいことを考え、小さいところから大きくしていきたい。
こんな私の志向がブリッジフォースマイルの働き方と合っていたと思います。


◆子どもたちとの関わりは常に真剣勝負。
 何が正解かわからない中で、毎日仕事をすることが楽しい。

そもそも、個別支援は苦手でした。子どもと関わることは好きでしたが、何を話せばよいかわからない。でも、今は、比較的どんな子でも対応できるようになったと思っています。
そのきっかけをくれたのは、施設を退所した若者に住まいを提供するシェアハウス事業(スマイリングプロジェクト)で、2010年から7年ほど生活支援を担当した時の経験が大きいです。

 

入居者たちは、社会に出る準備を支援する高校生向けのセミナー(巣立ちプロジェクト)に参加していた子もおり、だいたいどんな人なのかがわかっていたつもりだったのですが、実際の暮らしぶりを見たり、話したりしてみると巣立ちプロジェクトで見せていた様子とは違いました。一人で社会に出て生活をしていく大変さ(お金の使い方から料理に至るまで)、進学継続の難しさに直面していましたし、施設を出た後に大きく気持ちが変わった人もいました。自立の難しさの現実を痛感したのはこの時です。

 

就職に向けた実習期間には、朝起きられない子を毎朝起こしたり、キッチンにゴキブリや虫が出た時には「つかまえに来て!」と急に切羽詰まった声で電話がかかってきて、駆除を頼まれ、「自分が着く時にはいないだろ!」と思いながらも対応したこともあります(笑)。

 

調味料の使い方を知らない子もいて、混ぜるだけで作れる某食品メーカーの総菜調味料であっても、使い方を教えるのは大事だなと感じました。この経験は、その後のセミナーで実施している調理実習にも活かしています。


スマイリングプロジェクトでは、多くの経験をしました。中でも、自分の考え方が変わった印象深いエピソードがあります。それは入居者の一人と用事があって外出した時のことです。
移動中の電車の中で、彼女が不意に「マイケル、無理に話さなくてもいいんだよ」って言ったんです。その時私は、無言にならないように、何を話そうか、頭の中でいろいろと考えている最中でした。彼女からの一言で、なるほど、無理に話さなくても大丈夫なんだということに気づかされました。

 

自然体と無配慮は違って、子どもたちに対して、変に気構えることは必要なく、無理に話さなくても、自然体で一緒にいられる信頼関係づくりが大事。そして、その関係性が彼女とは構築できたのかなと感じ、うれしくもありました。

 

個性は一人ひとり違っていることが当たり前。反応が薄い子もいれば、よく話す子もいる。元気でやんちゃな子もいる。関わり方はいろいろあってよくて、何が正解なのかは誰にもわかりません。でも、何かあった時には、今までの支援の経験一つひとつが、子どもたちに話せる糧となり、アドバイスに説得力を持たせることにつながっていると感じます。
子どもたち一人ひとりと誠実に向き合い、その瞬間にベストだと考えたことをやり、それが上手くいくことを願い、これからも行動していきたいと思っています。


◆子どもたち、サポーターさん、講師が一体となって、
 それぞれに活躍できる場づくりを目指して。

もう一つ、今の私に影響を与えたエピソードがあります。それは、あるサポーターさんが講師を担当したセミナーに参加した時のことです。
そのセミナーでは、2時間のうち、約30分も参加した人たち同士のアイスブレイクに使っていました。カリキュラムのタイムスケジュールとは大幅に異なっていたのに、最終的には、テーマに沿った学びがあり、とても楽しいセミナーでした。
予定とは違っていたことに驚きましたが、参加した人たちの関係や雰囲気づくりを大切にしたセミナーとなっていたことに気づき、こんなやり方もあるんだと衝撃を受けました。

 

個別支援と同様に、セミナーを通して参加者から聞いたことや、よかったといった声、改善すべき指摘も、そのすべてが自分の経験値として積み重なっていると感じます。

 

今は、新規拠点(佐賀、熊本、北海道)の立ち上げとその際のセミナー講師、運営サポートに携わっているのですが、先ほど話した「衝撃を受けたセミナー」の経験を踏まえ、出会った人たちとの関係性やその場の雰囲気を大切にしながら、「また次も参加したい」と思ってもらえる場づくりを意識しています。

 

前職のIT企業の時から、自分で考えて、自信を持って開発したシステムを自分でプレゼンして、導入してもらって、その反応を見るのが好きなんです(笑)。今、新規事業や新規拠点の立ち上げが楽しいのは、こんな性格だからだと思っています。


◆アロハシャツを着る。ドラクエの名刺入れを持つ。その理由は?

模擬就職面談などの場面では私もスーツを着込み、ネクタイを締めますが、そのスタイルでみんなの前に登場することは稀です。子どもたちやサポーターさんと会う時は、よくアロハシャツを着るようにしています。名刺入れは「ドラクエ」です。

 

子どもたちは、18歳で社会に巣立ちますが、たくさんの困難に向き合います。誰に助けを求めていいのか、そもそも助けを他人に求めてよいものなのか、何もかもがわからなくなってしまって、一人で悩みを抱え、孤独になり、「死にたい」という言葉さえ、つい口に出てしまうこともあります(「死にたい」という言葉にいたずらに振り回され過ぎてもいけないのですが、時と場合によっては、とても深刻なSOSであるということも心に留めておかなければいけません)。

 

私が目指すのは「子どもたちや退所した若者たちから、気軽に声をかけられる存在になる」こと。そのためのきっかけとなるアイテムのひとつが例えばアロハシャツとドラクエの名刺入れです。
自分にアロハシャツで目印を付け、「関わりを持っていい大人がここにいるよ!」と名乗りを上げている感覚です。
何か相談や悩みがあって、大人に話してみようかなと思った時に「アロハシャツを着てる人がいたな」「ドラクエの名刺入れを出していた人がいたな」となるように意識しています。

何かあったら、「アロハシャツを着ているおじさん」を、「ドラクエの名刺入れを持っていた大人」を、思い出してもらいたいです。

 

マイケル七変化

 


 

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